第65回読書会報告と感想文
2025年2月24日 22:44 読書会

65回   

<参加できる阿佐ヶ谷婦人公論読書会> 

おんなとおとこの工夫 生涯を連れ添うために

ZOOMによるオンライン読書会をベースに   

随時リアル開催しています。

 

2024.12.17開催 

テーマ 

 ◆ 男女の「愛」について考える

《資料》

①『「愛」と「性」の文化史』から「おわりに」

②「あなたの性生活」から「パートナーを選ぶ」

③「カップル・ダンス」について

 

【参加者】4名 (男性2名、女性2名)

 

【概要】(まとめ:増渕)

今回は、進藤さんが提供してくださった①『「愛」と「性」の文化史』から「おわりに」と②「あなたの性生活」から「パートナーを選ぶ」、井上さんがまとめてくださった③「カップル・ダンス」を資料として読書会を進めました。

①では、江戸の「色事」と明治の「恋愛」の特徴の比較から、筆者は、「色」の時代を無条件に理想化するものではないと前置きしながらも、「色事」から学ぶ、肉体を含む交際についての畏怖や尊厳の念が喪失され、バーチャルなコミュニケーションの台頭により、今や、人間の「肉体」そのものが、人工物(機械)との境目を失っており、肉体と機械に区別を設ける認識自体が、「古臭ノスタルジー」として葬られ、生身のコミュニケーションは存在価値を見失われつつあると述べられています。このあたりに、新たな視点を感じています。

②では、冒頭「なぜ人は誰を選ぶのか?」という問いに対して、すべては幼児期の経験にさかのぼる」との説明。さらに、その後に、「愛情」「優しい身体の親密さ」「承認」、これらすべてがうまくいけば、愛されるという経験に蓄積され、そのニーズを十分に満たさなかった子どもは、いわば残った自分のニーズを満たすために、パートナーに頼る傾向があると述べられています。この見解は、ある一面を明確に述べていると思いますが、まだまだ様々な点について考えを巡らせることができるはずです。

③については、日本家族心理学会の研修「多世代家族療法」(野末武義先生)の講義の中から、「夫婦・カップルにおける悪循環~カップル・ダンス~」について、井上さんがまとめてくださいました。研修では、5種類のパターンが紹介されていますが、学術的なその内容を、エピソードも交えて「超簡単」に伝えられるようにすることで、今後のカップル・カウンセリングに活かせるのではないかという意見から、読書会で一つずつ取り組んでみることにしました。

それが、常々先生がおっしゃられている読書会からの発信、ひいては当協会からの発信につながれば幸いです。

 

【参加者感想文】(まとめ:増渕)

1.井上京子さんの感想文

前半で、「子ども時代のアタッチメントは、その後の人間関係のインフラとなる」という長谷川先生のお言葉を参加者全員で共有し、そこから話を深めた。カップル間でのアタッチメントは、例えばマッサージをお互いの気持ちのいい箇所や力を探りながら行うように、二人で学び合うものではないかと進藤さんより。でも、本人同士でやろうとしてもできないことが多い(長谷川先生)。だからこそ、「①第3(Co ) から、②気持ちのこもらなくていいケア(演技)を提案され(=結局このことが「嘘から出た真」になる←韓国ドラマのようですが)、③リフレームを捧げられること」で、カップル間のアタッチメントに変化を促すことができると長谷川先生よりおまとめがあった。

子ども時代に満たされたアタッチメントを受けて育つ人の方が少ないのかもしれない。そうであるとするとするならば、家族相談士として、なるべくそうならないように予防的に関わることをしたいと私は感じた。予防的に関わること(心理教育が主になるか?)について、また皆さんと話し合ってみたい。

 

2.進藤一俊さんの感想文:

「性と愛の文化史」のまとめに記述されている日本の現状です。ウエル・ビーングを命ある人々がひとしく享受できる社会とは程遠い国になりつつあるとの感触を持っています。現象としては少子化ではあるにしてもその深部に潜む問題は、個人の尊厳と自己実現の権利を守り提供すべき社会がそれを剥奪してきているということです。

 多分、その結果としての現象として風俗産業、ポルノ、痴漢などの性犯罪の増加がみられていると考えられます。今まで私たちが議論してきた男女の家事分担、家族システム論からの形態分析、コミュニケーション理論など機能できる場としての家族的集団さえもつくることができない社会になりつつある危機感をもっています。

この現状への学術的なアプローチは社会学、経済学、心理学と基本学問からさらに課題別に家族心理学会、ジェンダー学会、性科学学会で行われており、政府でも男女参画委員会や「少子化、女性活躍」志向での研究がされています。しかし、それらの成果を社会的なタブーの壁を乗り越え、総合的に発信する取り組みはあまりされていないのではないかと思っています。

婚活とかマチングアプリそしてAIでのマスタベーション的対応さえも出現している状況下において、私たちができることはなにかを考えた場合、今のテーマをそれなりにまとめた段階では、「家族」から飛び出て、各世代別のアタッチメント充足的な人間関係論向けの「家族的システム志向カウンセリグ」(仮称)として、自己肯定感、アイデンティ実現、ウエル・ビーング実現できるガイダンスができる機関を目指さなければとも思いました。

 

このような問題意識で、読書会に臨みました。

まず、「性と愛の文化史の「むすび」で著者が危惧しているAIが介在する性的な行為が存在する事実につては、仲間の方もこの本の指摘が本当かどうか私と同じように確認されていました。 ネットで関連事項を調べると、私がそのようなことに興味を持っていると「Web」が判断し、その種の動画、画像を送りつけてきました。

すでに多くの研究者がこの問題について検証を始めていました。政府関連では経済面からの検討がなされていました。ただ比較文化論にウエル・ビーングに座標軸を置いた論文に出会えていません。読書会で、私はこの点が「添い遂げる」カップルのために重要な視点であると発言をしました。長谷川先生からもエールを送られたこともあり、大事なテーマとして引き続き調べてみたいと思いました。

次のテーマは、40年以上前の英国での書籍の「パートナーを選ぶ」の章で主要な命題がその人の幼児期の見守られる人からの承認の在り方でのその人の対人関係の特徴が規定されることを説明しているページについて私からの解説から始まりました。そしてその次のページには、「承認」や「愛着」と言う概念からみての異なった育ちを経た男性二人と女性一人の人物が登場します。

私はみなさんに次のページでは質問形式で、この男女が出会った場合どのような展開になるかを読者に問いかけていますと、説明しました。

扱った資料は幼少期の育ちの状況を説明し、それが青年期を経て自立に向かう過程で男女が出会い際のコミュケーションの在り方の特徴を描写していました。この問題についても、長谷川先生からはこの課題は高齢期にも現れるとの指摘があり、前回の読書会で扱った高齢期の恋愛がその人の人生の精神面での「生きた証」、「生き直し」に通ずる要素があると感じました。そのことをもう少し調べようと思い、「高齢者」スペース「アタッチメント」で日本語と英語で検索をかけると、数多くの文献がでてきました。これは読書会前に私が増渕さんに書いたメールの通り、世界そしてもちろん日本でも多くの研究者も注目しているテーマ(アダルト・アタッチメント)であることが分かりました。

しかし、この課題を扱っている研究者が読書会に集う私たちのように「カップルそれぞれが『自立した人格』として添い遂げる」ためのガイドブックを提供しているいかについては今のところ分かりません。

最後のテーマとなった「カップル・ダンス」については、私は「パートナーをどう選ぶか」に登場しているようなカップル間に起こる行動現象形態の分類であると思っていました。しかし、「親密さへの恐怖」の形態分類においては、この研究の真髄が相手方に真実の愛を伝えるためには、自らの中にある「恐怖」を己の力で克服することこそ、対象への愛が実現できるのだの強いメッセージ性を持つ研究志向だと感じました。

次回の読書会では、いよいよ私たちで「『恐怖』にめげそうになっているカップル」に福音書となるガイドブックを提供できるような議論ができるのか? まさに、正念場となるのかもしれません。

以上